茎が折れた菜の花

「人間の事実」柳田邦男 文藝春秋より

 中学教師になってわずか2か月後 、体操部のクラブ活動の指導中に、自ら踏み切り板をけってマット上での前方宙返りをしてみせようとして失敗、頭部から転落してしまった。頚椎損傷。以後 四肢完全麻痺、首から下は自分では全く動かせなかった。ベッドに寝たきりの日々を送らねばならない。24歳の時だった。

 最初の年は、呼吸困難、発熱、肺炎などの深刻な事態が次々に起こり、予断を許さない日々が続いた。全身状態が落ち着いたのは2年近く経ってからだった。それでも、頭を持ち上げることも出来ない状態だから、書見器で本を読むのが精一杯だった。

 自分で食事をすることができないので、母親が三度三度口に入れて食べさせていたのだが、ある日、母親の手元がふるえてスプーンの汁を顔にこぼしてしまった。折からのイライラがつのって、カッとなって。口の中の飯粒を母親の顔に吐きつけてどなった。「チキショウ。もう食わねえ。くそばばあ」「おれなんかどうなったっていいんだ。産んでくれなけりゃよかったんだ。チキショウ」
舌を噛み切ろうか、餓死しようか、母に首を絞めてもらおうか。何とか死ねる方法はないものかと考えたという。

 そういう星野氏が、絶望と虚無の深淵から再生させたものは、何であったのか。一つは、同病者たちとの出会い。同病者といっても片手・片足を切断した人、腫瘍で足を切断した高校生など、重い身体障害を残す人ばかりだった。そういう人たちは、表面的には明るいが、誰かが身の上話をはじめると、みんなが涙を流す。からだが不自由になった同病者同士、いわば戦友同士ならではの苦しみの分かち合いと支え合いを、知ったのである。

 もう一つ、看護学生の一言から、口にサインペンをくわえて字を書くのを覚えたこと。「字を書きたい」という願望は強かったが、口を使うにも、どうすれば楽にうまく書けるかがわからなかった。ある日、床ずれを防ぐためにからだを横向きにするのを介護してくれた看護学生が、「その姿勢で字を書いたらどうでしょう」と、いってくれた。そうして、スケッチブックを手で支えてくれたのである。口にくわえやすくするためにサインペンに巻いたガーゼは、よだれでぐちょぐちょになり、首もつかれてきたが、それでも「ア」「イ」と書いた。
うれしくて うれしくて・・・・と星野氏は書いている。

 <下手でもいいじゃないか。どんなにのろくてもいいじゃないか。>
 また、星野氏はこうも書いている。<なにげないひとことがひとりの人間の一生を方向づけてしまうことがある>

そのような星野氏が手記「愛、深き淵より」に次のような詩がある。

 神様がたった一度だけ   この腕を動かして下さるとしたら
 母の肩をたたかせてもらおう  風にゆれる ペンペン草の実をみていたら
 そんな日が  本当に来るような気がした

 私の首のように  茎が簡単に折れてしまった 
しかし菜の花はそこから芽を出し  花を咲かせた  
私もこの花と同じ水を飲んでいる  同じ光を受けている 強い茎になろう

我々が行う医療は 人を支えるという素晴らしい仕事である。どうしたら目の前の患者さんに手を差し伸べられるか。それが医療の醍醐味である。患者さんの心を掴むこと。幅のある医療人にどうしたらなれるか。仕事は地味なことの積み重ね。謙虚に、日々反省を繰り返し。
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